ゆっくり行こう

糖尿病キンタマフェイス先生ことO先生からメールが8時にはきていた。

5時間も余計に悩んでしまったことにはなるが、とりあえず単位はもらえるみたいだ。

よかった。これで授業料免除が受けられる。

この先生の考え方とは合わなかったってだけ。

私と合わない奴なんて付き合う価値がない。

みんな焼却処分で構わない。ガス室送りにしてやる。

今日は教授の殺人事件とかのページをウィキペディアで見て、もし留年する羽目になったらOを刺し殺して自分も自殺しようと思ってたんだ。

そうしなくていいだけでもかなり救われる。

大学には行きたいんだ。

ゼミに入りたい。

教授同士でもめちゃくちゃ仲の悪い人だっているはずだ。

私と同意してくれないからと言って、私の研究者としての素質がない理由にはならない。

世界はOが仕切ってるわけじゃないんだ。

この世界にはいろんな正義や考え方があっていいはずだ。

それがアカデミズムの定義そのものに違いない。

だからOみたいなクズがいても許されるんだ。

こいつの授業は二度と取らずに済むことがせめてもの救いだ。

単位くれてありがとう、糖尿病キンタマフェイス先生。

実際私が想定していた答えよりもだいぶ優しい回答だった。

私は常に最悪を想定するんだ。

それが怖くて怖くて、私の世界は一気にあの怪物のいる霧の中へとワープする。

ベトナム戦争PTSDのように。

でも現実はそれほど酷くない。

よかった、進級おめでとう、私。

これからはゆっくり行こうな。

ちゃんと障害者コースで。

 

豆腐メンタルとの付き合い方

これで留年することになったらどうしよう。

全部Cを取れてれば上がれるはずだが。

一番配分がでかいところでCをとったおかげで、他のエッセイがDとかでもC-で成績がつくということだ。

成績はS,A,B,C,Dとある。C-までは合格。

せめてC-を取れてれば、進級できる。

お願いだ、せめてC-を取れていてくれ。

他人が私をどう思うかなんて、そんなこと自分の制御下にない。

自分のせいじゃないんだ。

私はもっと早くみるべきだったのかな。コメント。

まあどうしようもない。

新学期が始まったらもうダメだし。

Cをくれたということは逆にDよりはいいと思ったということだ。

もし本当にダメだと思ったらDをつけるはずだ。

かろうじて単位をくれるんじゃないか。

 

この単位を取るのを不注意から後回しにしてしまった自分が悪いのだ。

たとえ意図していなかったとしても、自分が悪いのか。

また自由意志の問題だ。

自由意志はない。

化学物質と物理的不具合の重なり合いで私の人生はできている。

まあ仕方ない。

多分進級できていることを願って。

 

私は授業を本当に受けたくなかったけど、毎回心臓をばくばくさせながら出たんだ。

それを無駄にさせないでくれ。

この旨を一応メールで今日の朝に出した。

私は12年間母親に洗脳されひたすら父親の悪口を吹き込まれ、お前を愛する人間はいないと言われ、母親から逃げるために出会い系で会った男のところに泊まって処女喪失して、自分を傷つける行動をなんどもしてきた。

そしてやっと父親と会えて、母親に対する責任追及をしようと思った矢先に自殺される。

私が6歳の時に父親を奪われたこと。父親が6歳の娘と二度と会えなくなって、成長を見ることが叶わなかった悲しみ。

私はもう父親の家庭に戻ることはできない。私の会ったことのない腹違いの妹と父親の妻がいるから。

私はもう居場所がどこにもない。

私は母親を奪われ、父親を奪われ、家庭を奪われ、健康な人格形成の機会を奪われた。

神様、私をなぜみなしごにしたのか。

なぜ与え、奪ったのか。

私は精神のアウシュヴィッツの生存者。

留年なんて霞んでしまうぐらいに私の人生は悲惨だった。

私は12年間精神的ガス室で生きてきた。

やっと外の綺麗な空気が吸えるようになったんだけど、

肺の中にまだ毒が残ってて、

外の空気は吸うのにずっと楽だけど、

でも肺のゼエゼエ言う痛みは消えない。

周りが走ってる中、私は一歩一歩がやっと。

そのことを受け入れたほうがいいのかもしれない。

私は、精神的ガス室にいてもひたすら頑張って走ってこれたから、人並みにできることが当たり前だったけど、

でもそれは本来奇跡みたいなことなんだ。

羽生君なんて目じゃないぐらい、私はありえないほどのハンディを負ってこれまで生きてきた。

二ヶ月練習できないどころじゃなくて、私は12年間ガス室で毒ガスを吸って生きてた。

霧の中に潜む得体の知れない怪物(母親)に怯えながら。

警察をなんども呼ばれたし、精神病院にも入院させられた。

私がガス室で育っても、周りの子供より成績がなまじよかったのがいけなかったのか。

ガス室に住んでいることを気づかれることは少なかったし、自分からもアピールすることはなかった。

でも副作用がないわけじゃない。

今までは勉強さえやっていれば、問題は表面化することはなかった。

学生の身分で問題が表面化することなんて非行に走らない限りそもそも少ないのかも知れない。

私のケースでは精神病院や警察送りになったことで断続的に表面化はしていたが、

水死体のように浮かび上がっては、誰かが隠蔽しようとする。

何が起きているのかもわからず、ただ波に飲まれ、いじめや母親の精神的虐待に苦しめられた日々。

その中で子供時代の私はいつのまにか、姿を消し、

時々ガスでパンパンに膨れ上がった死体として濁った沼の中から浮上する。

亡霊が顎の腐り落ちた口で、

「誰か、私を愛してください」

この亡霊が、私の人との関係を蝕む。

私を愛していない証拠となるようなものが一つでも見つかれば、

「それ見たことか。お前は必要とされていないんだ」と叫び、

恋愛関係を壊死した指のように完全に断とうとする。

私が何歳になろうと、どんなに外面や振る舞いを取り繕っても、

私の本質がこの哀れな溺死体であることは一生変わらないだろう。

創造的はけ口

にちょっと頼ってみる。

私の頭の中でここ数日反芻しているのはあるイメージ。

ある自爆テロリストが、公園のベンチで爆発時刻を待っている。

そこである人あたりの良さそうなサラリーマンと出会う(イメージはジムキャリーをエリートっぽくした感じ)。

二人は意気投合して、そして最後に相手が握手を求める。

握手を交わす時に、ちょうど爆発が起こって、相手の笑顔が歪み、一緒に爆発して終了。

この会話がなるべくポジティブで、ダブルミーニングなウィットに富んだものであればいい。

"I'm Sam."
"I'm Abdul"

からのボガーン。てな感じか。

 

精神的脆弱性

ちょっとこの先生から受けた酷評ということを例に、自分の精神的脆弱性を考えよう。

時間が時間だけに頭がちょっとフラフラして来たが、構わず続ける。

酒でも飲んで寝てしまいたいが、私は酒が嫌いだ。

ヘロインの方がまだ抵抗はないかもしれない。

私は肺から摂取する大麻やタバコも無理だ。

食べるならいいかもしれないが。

その点、針を血管に刺して、チクっとするだけでストレートに体内に入ってくる薬物は優秀だ。

肺にもいいし、変な味はしないし。

酒なんて喉と口に対する罰じゃないか。

なんであんなものを美味しいというのか。

めちゃくちゃに薄めた奴ならいけるが、ストレートでは無理だ。

自傷衝動がないと飲めない。

なぜ自傷衝動がないのか。

自傷したところで死ねないから。

では自殺はするのか。

いや、しない。今の所は。

なぜ自殺しないのか?道具は揃っている。

スーツケースのベルトで私はものの数分で、死ねるだろう。

ビニール袋を一枚顔にかぶるだけで、ものの数分の苦しみの後に存在しなくなる。

ハムスターだけが一匹、蛍光灯の光の下で夜を失いおろおろしている。

かわいそうに。

死ぬときはせめて電気を消してからするべきだ。

私の死は罪のないハムスターが活動時間を失う理由にはならない。

社会に適合したい。

愛されたい。ごめんなさい。

o先生には拒絶された。私を愛してくれなかった。

私を愛してくれた人はいたが、こちらから突き放してしまった。

ヤマアラシのジレンマか。

私を愛してください。

私を愛してください。

私を愛してください…

僕を神様にしてください

私は今日も父親と自分の学歴コンプレックスの話をした。

父親は、うちの大学じゃなきゃ留学をする気になれなかっただろうと正当化しようとした。

いや、別に行きたくないし。

なんで申し込んでしまったのか。一生後悔することになる決断かもしれない。

まあ東大も諦めざるを得なかった自分にはそれ以上後悔する決断なんてあり得ないんだけど。

私はもうこの時の選択が一生付いて回る。

母親の死と同じぐらい、毎日考える。

もうこの脳みそが一生の中で考えることの数パーセントはもう決まってしまっているんだ。

大学選びの後悔、そして母親の死。

それで芋づる式に出てくる父親の不甲斐なさ。

私の会ったことのない腹違いの妹たち。

会いたくもない、血を分けた妹たち。

生きるのって嫌だなあと思うこと。

保健室のクソ女。

母親の死体がぶら下がっていたドア。

この脳みそはいいことは思い出せない。

いいことは何もなかったんだと、そう思おうと思えば思えてしまう。

辛かったことはいくらでも出てくる。ザクザクと。

でも唯一よかったことはたった一人の友人に会えたこと、そして彼女の家族と仲良くさせてもらってること。

美しいものが見れたこと。

短い間でも愛されたこと。

一握りの数の先生に認められたこと。

o先生のpdfをついに開けようとした。

それは行儀よく、ダウンロードされたもののファイルの中に入り、露出狂のように勝手に開くことはしなかった。

よかった。

Cだった。

まあこいつの授業は二度と取らないからいいんだけどね。

せめてFじゃなくてよかった。

グッバイ、o。

すれ違ってももう挨拶しない。

糖尿病患者の腐ったキンタマみたいな顔色しやがって。

クソが、死ね。死ね。死ね。

まあ単位は来そうか。成績は決してよくないけど。

留年よりかはマシか。

研究者でもダメかもなあ。成績悪くて。

何もかも八方塞がりのような気がする。

でも学部時代の成績が悪くても優秀な奴はいるみたいだ。

カフェラテを飲んだからか、眠れない。2時近くなのに。

あーあ。なんでだろう。なんで嫌われたのかな。

なんで私が。嫌われなくちゃいかんのだ。

クソみたいな授業をする奴が悪いだろう。

アンケートを出すには担当の生徒が帰ってしまって無理だったが。

匿名で罵詈雑言を吐く唯一のチャンスを無くしてしまった。

 

学生時代の論文について質問する手間:★★★効果:★★★★★今は博識でその業界での権威と言われていようと、学生時代から図抜けていたとは限らない。そこで教授の恥ずかしい過去をあえて持ち出してみると良いだろう。博士論文ならば国会図書館に収蔵されていることが多いし、修士論文も探せば案外見つかるものである。その教授の処女論文でも良い。学士論文や、学部時代のレポートなどが見つかればなお良いだろう。そういう論文を持って教授のところに行くわけである。「この論文について教えていただきたいのですが」。……君が不意に小学生時代の日記を差し出されたのと同じくらい、その教授も恥ずかしい思いをするはずである。この方法の素晴らしいところは、リスクをほとんど取らなくてよいということである。いくら古い論文とはいえ、純粋にその論文に関する質問をされた以上、筆頭著者として答えないわけにはいかない。自分の研究を全否定することになるので、「そんな論文読まなくてよし」と追い払うのも気が引ける。「君はどう思うのかね?」という反撃も、この場合有効でない。教授いじめにはこれ以上ないくらい効果がある。

 

よし。これをやるぞ。暇な時に。

ストーカーして住所をつきとめて、匿名のカミソリ入りの手紙を出すとか。

こいつの研究室に潜入し、生エビを見えないところに隠すとか。

これはちょっと現実的じゃないが。

まああいつに私の良さはわからない。

それは彼の研究者としてのロスだ。

仲良くしておけば私の恩恵に与れたかもしれないのに。愚かな奴め。

でもあいつは政治学が一応?専門なはずだ。

私は政治学は専門じゃない。

だからこいつがお気に召さなかったと言って世界の終わりじゃない。

むしろ始まりだ。(何が?)

こいつは私のゼミの先生ともいまいちタッグ組んでないし、仲良くもなさそうだからいいか。

嫌だったらもう大学中退するしかない。

私はやっぱり勉強が嫌いなんだよな。

英語教育とか英文学について勉強するならいいかもしれないけど。

やっぱり就活頑張ろうかな。

こいつは私のことが嫌いなだけ。

私情を挟まない教員なんて本当はいない。

そんな人間どこにもいやしない。

目上の人に気に入られるのが難しいなら、ニートになるしかないのかもしれない。

海外に行けば違うかもしれないが。

私は多くは望まない。

経営者になったって構わない。

むしろ経営者になるべきだ。

私は楽に生きたい。

大学院は苦しそうだし、とりあえずIHINHKを受けて、あとは人気のなさそうな企業を一通り受けて引っかかればいいや。

TOEIC 730点あればいい世界で果たして自分が真っ当に評価されるのかは全くの謎だが。

自殺はお早めに♪

 

 

自己肯定感

せんべいさんのブログを発見して、全部の記事を読みたくなってしまって、午前はほぼそれを読んで終わった。

読者を想定しているから、頑張って書いているのは当然だが、とても上手な文章だと思う。

自分の気持ちを率直に書いているが、同時に詩的でもある。

なぜこのブログを読むことになったかというと、自殺関連の記事を漁っていたところ

「再就職は宝くじに当たるよりも難しい」と荒唐無稽なことが書いてあって、この人の認識に確実にバイアスがかかっていると思い、自分と似ていると思ったからだ。

自分の大学はFランだ、マーチに行ったほうがよかったと父親に言ったらそれはあまりにも世間の常識からかけ離れていると言われたのと同じだ。

私はこの人の顔を見たことないけど、ただ繊細で苦しんでいる人というイメージが伝わってくる。

自己肯定感

「なんの根拠もないけど、自分は生きていていいんだ」

と思える感覚

 

らしい。私はかなり図々しいように振る舞うことはできるが、こういう自己肯定感はない。

私が図々しく振る舞うことができるのは、相手の気持ちなんて考えちゃいないからだ。

私は友達作りに来たんじゃない。他人がどう思おうと、私は他の奴らのせいで自分の関わったプロジェクトが自分の考える最高未満の仕上がりになることは耐えられない。

私がみんなを引っ張っていくべきなんだと、そう考えたんだ。

そう思えるのはまずすごい。自分から見ても。

クラゲのように軟弱な私に背骨を与えてくれたのがこの呪いのような、恩恵のような言語力。

これだけは右に出る者はいないことは自信を持って言える。

TOEFL iBTで高校の時115点とったやつがいたが、そいつにも私は勝てると思う。

なぜそう思うのかはわからないし、そもそも何を持って勝ちとするのかがわからない。

でも英語で考えること、書くこと(26点だったが)ができる。

やってて楽しい。

この人は本を読んだりして、無意識に自分の感受性だったり文章力だったりを磨いているんだと思う。

井の頭公園に来たりしているあたり、遠くても関東圏には違いない。

会おうと思えば会える。

会って見たいと思わせる文章だった。

toefl スコア

なんと無念の114点。高校2年の時と全く同じスコアだ。

でもライティングが26、スピーキングは29、リーディングが29。リスニングは30。前回はリスニングとライティングが30、スピーキングが26だったのでリーディングが28だったのか。

 

Reading: 28 to 29

Listening: 30 to 30

Speaking: 26 to 29

Writing: 30 to 26

でもライティングだけで4つも落ちたのはびっくりだ。あまり調子が出なかった気はしたが、まさかここまでとは思わなかった。

 

リーディングとスピーキングが向上、その代わりにライティングが同じだけ下落。

変な結果だ。ライティングばかりは結構やっていたと思ったのに。

リーディングとスピーキングは普段あまりできていなかったのに、スコアが上がった。テストに臨む時の緊張の問題だろうか。まあスピーキングが26から3つも向上したのはすごい。全然練習しなかったというのに。

まあ前回は結構問題集もやったし、頑張ったから今回はそれに比べて無勉で同じ結果が維持できたというのはいいことなのかもしれない。早めに会場についたし、順調にテストができたし、テスト慣れはしてきた。

でも成長が見れるかと思ったが総合的に変わっていなかったのはちょっと悲しい。

まあ有効なスコアでなおかつ英語漬けだった環境にいた前回と劣らないスコアが取れただけでもプラスだとは言えるが。

高校の時は一週間のうち50かける4、200分は英語の授業があったが、大学ではたったの90分一コマだった。

しかもドイツ語をインプットするから、英語の邪魔にならないとは言えない。

TOEFLの問題集も見つからなかったし、わざわざまた買う気にはなれなかったし、バイトがあって勉強時間も満足に取れなかった。

前日になってキャンセルしようと思ったぐらいだ。

その中でできたことを考えればまあまずまずの結果じゃないか。

気になるんだったらもう一度ちゃんと勉強して臨むとかは選択肢としてある。

IELTSやITPなどと比べてもTOEFL iBTが一番非フレンドリーで、明らかに怖いテストであることは確かだ。

その中でこれだけの点数を維持できたことはやはり実力がある証拠だ。

今回はライティングの調子が乗らなかっただけだ。スペルチェックの時間も取れなかったし。

就活に使うには全く申し分ないというか、海外の大学院にいくにも全く支障のないスコアだ。

これで大学在学中はもつ。

114点が悪いスコアってわけじゃない。むしろかなりいいスコアだ。

自分の中の無念は、もっと成長が見たかったということだ。

元が114点という非常に高い基準だから、あと6点分しか伸び代はないが。

今日一日中首を長くして待っていたから、ちょっと期待外れだったということだ。

まあ仕方ない。4つの中で2つは改善、1つは満点維持。

自分は停滞しているわけじゃない。二つのフィールドで改善したということはまぎれもない事実なんだ。

この特上のクソみたいな試験で改善できるなんて素晴らしいじゃないか。

さすが自分と褒めてやりたい。