成人

一人暮らしで初めての雪。

初めて一人で迎える誕生日。

私は今日やっと成人した。

本当に周りと比べて遅かった。

これで一人前だ。

私はもう子供扱いはされない。されなくて当然だ。

もう児童相談所に助けてもらえないことを嘆く必要もない。

私は20年前のぼたん雪の降る日に、あの病院で生まれた。

母親が腹をいためて、首を動かすことさえできなくなるぐらい疲弊して産んだ子供だ。

お母さん。

今生きていたら、ネックレスかなんか買ってくれて、鏡の前に二人で行って、「ほらかわいい〜」とか言ってくれてたんだろう。

それで私が建前上のありがとうを言って、それでケーキをばあさんと私とお母さんで食べて、それで雰囲気が悪くならないうちに出てたんだろう。

成人式も、誕生日も、旅行も、今後の私の栄光全て、お母さんは見れなくなった。

もう二度と話せない。

お母さんは死んだんだ。

でも自分は本当に死ぬんだと思ってた。

私が自殺したらどう思ってただろう。

母親も自殺してたんじゃないかな。

父親はどうだろう。父親は自殺はしないだろうけど、多分自分を責めるだろう。

もっと気づいてやれたら。とか、もっとしてやれたはずだ、とか。

でも母親は自分の意思でやったんだ。死なないというオプションもあったはずだ。でもお母さんは色々な悪い化学物質が重なって、自分で死を選んだ。

もう仕方ないことなんだ。

私の大人になってからの全てが見えなくなるということを、母親は百も承知でやったはずだ。

いや、錯乱しててわからなかったのかもしれない。

でもずっとそのために頑張ってきたのに。

本当に、生きていてくれればよかったのに。

でも母親のせいで私は自殺未遂を繰り返したところもある。

私はあの家で生きていたくなかった。

あそこで自分は死ぬんだと思っていた。

昔は本当に未来が見えなかった。

どうせ自殺するんだと思いながら後ろ向きに全ての選択をしていた。

でも自殺するような悪い選択じゃなかったことが最近わかってきた。

大学教授とか、メーカーとか、いろんな可能性があることがわかってきた。

文系だから、東大じゃないから人生終わりってわけじゃないことも。

私の母親は1964年生まれ。2017年没。53歳の誕生日を迎えて一ヶ月と二週間後に死んだ。

お母さんの手作りのものなんて、小学校の頃の手提げ袋ぐらいしか思いつかない。

作った料理はことごとくセンスのない、クズみたいな味で、子供の頃は器用に捨てることができなくて、捨てられると怒られて、吐きそうになりながら食べた。

食事は毎食冷凍食品。朝も昼も晩もお弁当箱に入ってた。毎回一人で食べた。

山田さんの、手作り感のある弁当が羨ましかった。

晩御飯を誰かと食べることなんてなかったんだ。

必ず一人で、テレビを見ながら。

周りの人たちが毎晩家族と食事しているのを聞いて、すごく羨ましかった。

私は高校2年の時、夏休みが来てもうこれまでだと思った。

今までは学校に通っていたからかろうじてやっていけたが、そのルーティンすらなくなれば私は崩壊するに決まっていた。

図書館への道のりで、買った頭痛薬を何十錠も飲んだ。

目が覚めて母親が来たら、「学校行く気なかったんでしょうねって担任の先生が言ってたよ」って言って。

私は悲しくなった。私が自殺未遂してんのにあんたや先生が気にするのは夏期講習に行ってないことかよって。

誰も私のことを助けてくれない。心配してくれない。

母親は私を精神科へ入院させることは金がもったいなくてできないと言って、私は退院させられた。

その夜私は叫び通した。

その次の夜も。

毎晩警察へ連れて行かれた。

その時の私はただ謝ってほしかっただけだった。

でも母親は断固として謝らなかった。

私はもう毎晩でも叫び続けて、腕がある限り「謝れ、謝れ、謝れ」と書き続けるつもりだった。

でも私は閉鎖病棟へ入れられて。メガネすら自傷行為に使う可能性があると言って没収されて。

私の叫びはもはや聞き入れられず、書く紙もペンもなかった。

でも私はそこにいた時が一番平和だったかもしれない。

全く何も考えず、何も見えず、ただ寝てばかりいた。

隣の部屋で誰かが叫んでいた。でも誰も来なかった。私はその人が可哀想だとしか思わなかった。

私と同じだと思った。

 

救急車に乗せられて移動する間、私はずっとヨブ記を唱えていた。

Why died I not from the womb?

Why did I not give up the ghost when I came out of the belly?

Why did my knees prevent me?  Why the breast that I should suck?  

私の人生で一番つらかった時。

やっぱり自分があのベッドにがんじがらめにされて、身動きが取れない中必死で基本的人権どうのこうのと叫んでた時。

今考えると結構笑えるんだけどね。あの時の自分なりに論理的に考えようとしてた。

救急車に乗せられて、同乗してたおじさんがびびってるのも構わずヨブ記を唱えてた時。

看護婦はみんな厳しかった。みんなも死にたいと思ってたのかな。

自殺未遂者には優しくしてはいけないとかそういう了解でもあるのかもしれない。

優しくしたら戻ってきちゃうもんね。

母親が死んだって聞いた時よりも、

あの警視庁のクソオヤジになじられた時。

私の気持ちをわかりもしないで。

いい気味だ。母親が死んだからあいつの無能さがわかったんだじゃないだろうか。

糞みたいな人間。死ねばいいのに。

母親の葬式よりも、電話越しに罵倒されたことの方が腹が立った。

母親の葬式の記憶は霞がかかっていて、よく思い出せない。

ただこれほど死体らしい死体を見たことがなかった。

母親が死んでから、私の人生は極めて改善した。

金の心配もする必要がなくなったし、どんどんいいことが起きている。

いろんなチャンスに目を向けるようになったからか。

 

母親は一度も遠くへ旅行に連れてってくれなかった。

クズみたいな、観光地ですらないところへ連れてかれた。電車で三十分でいける。

私はそんなの旅行じゃないとある時口を滑らせた。

母親はすごく悲しんでいたけど、でも本当だと思った。

母親は退院したら犬飼おうって言ってたのに、それについて言及したらめちゃくちゃキレられた。

嘘つき。

嘘つき。

嘘つき。

自分の娘に嘘をついて、脅して、「お前のことをお父さんは見捨てたんだ」と言って。

当然の報いだ。

もっと痛い死に方すればよかったのに。

私が殺してやりたかった。

 

神様、もしいるんだったら母親を死ぬほど痛めつけてやってください。

地獄で何千年もむち打ちしてやってください。

私は親不孝者に聞こえるかもしれないけど、でも母親はここまで私を追い詰めた。

自殺まで追い込んだ。

母親か私のどっちかが死ぬしかなかったんだ。

それがたまたま母親だったというだけだ。

生存競争だ。母親は私を支えるのではなくひたすら私に対して要求をし続けた。

それで私は飲み続けた。

それが本来間違いだ。

母親が死んだ時よりも何よりもつらかった日々。

私は全部一人で耐えた。助けを借りながら。

友達はわかってくれなかった。

でも私は一人で頑張ってきたんだ。ここまできたんだ。

母親は死んだ。

お母さんに見てほしかった。

私の立派になった姿を。先生に褒められたこととか、全部聞いてほしかった。

もう母親はいない。

ひどいよ。

でも母親もつらかったんだ。仕事でもちゃんと評価されなかったみたいだったし。

私を一人で育ててくれなんて頼んだ覚えない。

施設に入れたってよかったはずだ。

なんでここまで私が苦しめられなければならなかったのか。

もちろん、母親が私のことを愛していて(彼女なりに)、それで育てなきゃいけないというプレッシャーがあって、それがつらかったんだろう。

でも誰も友達がいないから私にあたる。

寂しいから私にあたる。

私はそれが非常につらかった。

家を追い出され、ビジネスホテルを転々とし、ついには兵庫の祖母の家まで行かなければならなかった。

誰もおいでと言ってくれる人はいなかった。

どこにも居場所のなかった日々。

母親は清々したのかな?私を追い出して。

したんじゃないかな。で帰ってこないことがわかって寂しくなって毎日泣いてたと。

ばっかじゃねえの。

私が母親の立場だったら同じように追い出していたと思うけど、毎日は泣かなかったと思う。

子供が独立したんだったら私は辛い仕事はやめて、バイトにでも切り替えてたと思う。

どうせ自殺するんだったら。

私は子供はもう一生産まない。産めない。

母親のあの様を見た後にはもう無理だ。

私はあんな風にはなりたくない。

私はもう生きている限り、毎日母親を思い出すだろう。

あの気味の悪い遺影。

祖父と撮った最後の写真。

あれは写りが悪くて本当のお母さんとは似てもない、仮面のような怖い顔だった。

あれが遺影になったなんて。すごく残念だ。

あの写真自体怖いかもしれない。魂の抜けていくような顔をした祖父。

もうあの時点で母親は地獄に引き摺り込まれていたのかもしれない。

でも母親は植物状態でもいいから助かってほしかった。

植物状態なら、まだ意識が残っていたかもしれない。奥底に。

それで面会できてたかもしれない。話しかけてあげられたかもしれない。

でも母親は死んだ。馬鹿げたドアのロック一つのために。

生命保険も紙くずと化した。

クソみたいな人間。本当にもう一回死んで欲しい。

友人のお母さんが頑張って私の母親の代役をやろうとしてくれてる。

でもそんなの無理だし迷惑かけてるのが申し訳なくなる。

お母さん、お母さん。