11/29/2017 

 

私がなんで死にたいと思うのか。疲れた、めんどくさいの言い換えなんじゃないのかとか考えていた。

死にたい理由:めんどくさいから。これから生きていても幸せになれる気がしないから。今やっていることが楽しくないし、将来にも繋がらないのに、失敗すればそれだけ自分の価値が下がるから。プラスじゃなくてマイナスを防ぐ、という構造が原因。

 

なぜ母親が死んだのが腹立たしいのか:一般から見れば悲しいことだから、母親は私に辛くあたっておいて、被害者ヅラをして警察沙汰にして、それで家から私を追い出して、それで自殺したから。私にはもう平日営業の父親しかいない。こんな父親捨ててやる。

 

母親が死んでよかったこと:母親のせいで精神的に追い詰められることがなくなった。母親を介護しなくていいことになった。父親の介護も多分しなくていい。何を買っても、誰と付き合っても怒られない。留年しても中退しても、父親は止めようとするだろうけど父親なんて着拒否すればそれで済んじゃう。私には母親の遺産があるから、父親はそんなに必要なくなった。

 

母親が死んで悪かったこと:もう二度と会えない、母親は私との全ての記憶を消し去って、自分の人生は間違いだったという証明を残して死んだ。間違いに育てられた私も間違いであるという動かぬ証拠が残った。間違いである私がこれからどう生きていくべきなのか。生きていたくない。私の初期設定を母親がこれほどまでにひどくしたので、私はもはや幸せになることができなくなってしまった。私はもう2〜3歳の頃から常に顔色を伺っていなければならなくて、勉強も小学校の頃からずっと頑張った。でもそれが何をもたらしたか!何を生み出したか!

 

"行きたくもない学校に行って、出たくもない授業に出て、私のことを少しも知らない教授に侮辱される。なんのために?社会に出ていい企業に入るため。でもいい企業ってもはやわからないよね?ホワイトだとしても、そこにいる人間関係が嫌だったら仕事が嫌になるだろうし。努力がまともに認められない社会で努力したって意味ないよね。"

 

私は学校に行っている。もっと多くの嫌なことに遭うために。将来学士を手に入れてお金を稼ぐために。なんのためにお金を稼ぐの?生きるために。生きていたところで何するの?働く。フィリピンとかで早くリタイアしたところで飽きるのはわかっている。

 

私が死んだら周りがどうリアクションするのか、次の記事で書こうと思う。