人生で辛かったことをあげる。

 

1.母親の自己中のせいで本当は会えるはずだった父親と12年間音信不通(父親は離婚もしたくなかったし、私のことを愛していたのに)

2.父親は私のことを完全に見捨てたと母親に洗脳された

3.母親に虐げられ行くところがなく、出会い系で泊まるところを探し処女喪失(16歳当時はお金がなくホテルにも泊まれなかった)

4.母親に朝5時に叩き起こされ、「私は仕事行くんだから勉強しろ!」と不条理に怒られる、寝るのを怒られる、帰ったら私のベッドの上にゴミと服が一緒に捨ててある

私が今まで本当に一番辛く、不当な扱いを受けた日々。母親はもはや論理的に考えることができなくなっていた。ひたすら私にも自分と同じ苦しみを与えようとした。愛していると口では言いながら、実際は全くそうではなかった。多分人格障害だったんだろう。私は学校に行っていない時間は母親の歪んだ世界に引き摺り込まれた。私はこんな扱いは受ける必要はなかったと思う。

普通のメンタルの人なら折れていたと思う。首を吊って死んでいたと思う。

私は首吊りはやる場所が思いつかなかったのと、後遺症が怖くてやらなかった。

私は警察に行くべきだったのかもしれない。

でもそんなことは誰も教えてくれなかった。父親がいたら、教えてくれただろうに。

私は恐ろしい孤独の中で毎日その不条理の霧とその中にいる母親という怪物と戦った。

毎日学校からあの恐ろしい家に帰らなければならない。

私は夏休みが耐え難かった。

だから死のうと思った。

あの時の自分と今の自分を切り離して見ることは難しいが、あの時の自分は本当にかわいそうだったと思う。なんの罪もなく虐げられ、受験のプレッシャーに耐えていた。

 

振り返ると本当に生きて来れたのが不思議だ。精神のアウシュヴィッツに私はいたのだ。

今、怪物は自滅した。霧も晴れたが、戦った私の肺には未だにその毒素が残る。

だから私はこんなに辛いのだ。

PTSDに襲われる元軍人のように、

私のアウシュヴィッツだった家には、今祖母だけが住んでいるが、あの忌まわしい雰囲気は拭い去れないと思う。

母親が自殺した部屋。

私は四年生になったらアパートを別のところで借りようと思う。小さなワンルームでいいから。それかその時一緒にいる人と同棲する。それが童貞くんかどうかはわからない。

私は自己評価があまりにも低く、だから自分の学歴がダメだ、だから自分に価値がないと思っている。

本来今まで生きてきて来れたことが自分のメンタルの奇跡なのに。

私はアウシュヴィッツを生き延びた。

でもアウシュヴィッツ生存者がいかに辛い思いをしたかを話したところで、わかってもらえはしない。

人間は他人の気持ちを完全に理解することはできないのだ。

 

アウシュヴィッツ生存者にできることは、その話をすることだ。

気持ちではなく、単に何が起きたか。

そしてその歴史をどうやって繰り返さないようにするか。

私は法的に母親を殺すことはできなかった。絶縁も未成年としてできなかった。

でも母親は死んだ。

いずれ母親を殺す必要はあった。あの家から出る必要はあった。

そして私はそれを成し遂げた。

警察にバカにされながら。

あの警察官は一生許さない。

でも私が勝ったのは明らかだ。

怪物は自滅した。

母親からの後遺症には未だに苦しむが、とりあえず母親は死んだ。

もう今後一切母親の言動に苦しむことはない。

私は逃げなかった。私は戦った。

母親はおそらく改心せず死んだんだろう。

そのため母親は地獄で何万年も苦しみ続ける。

戒名をつけたところで神は騙せない。

私は母親のような怪物にはなり下がらない。

私はヨサリアンだ。

母親はたとえ血が繋がっていても敵だった。

学校の先生も、敵だった。

今も敵はいる。

私は今まで孤独に戦ってきた。

私は私でいいんだと、共同体から与えられる価値抜きに、そう思えるようになったら、人は誰でも自由になれるんだと思う。

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ヨサリアンはそういう意味でエブリマンであると同時に人間の目標だ。

私も自由になりたい。

童貞くんは、そういう意味で自由なんだと思う。

私は、私じゃダメなんだ。

東大に行ってないから、たくさんの人と仲良くできないから、

先生のいいと思う着眼ができないから。

そんなんじゃ自分が不憫すぎる。

自分は、自分でいいんだ。

お前はダメなんだという奴は全員敵だ。

電通の自殺した東大卒の新入社員。

ああいうのは打たれ弱いんじゃなくて、今まで「お前はダメだ」と言われた経験がなかっただけだ。

あいつは、多分社会に受け入れられる為に並々ならぬ努力を重ねてきたんだろう。

至る所で認められる為にそこの基準に従ってきた。

でもそれがついにできなくなってしまって、自分の価値がわからなくなって、自殺してしまったんだ。

ひたすら与えられた基準に従い自分の価値を確認するという生き方は持続可能ではないことをこの事件は浮き彫りにした。

Tommy Wiseauは与えられた基準に従うことはそもそも無理だから、自分で映画を作ることにしたのだ。

彼は誰も自分を肯定してくれない中で、

あの新入社員がCatch 22を読んでいたら、自殺していなかったかもしれない。

私はヨサリアンでありたい。

学生は大抵、基準に従うことが絶対だと思ってる奴らだから、そんな奴らに流されてたって意味はない。無視に限る。

私は童貞くんに会ってよかったとつくづく思った。

Where were you born?

On a battlefield.

No, I mean which state.

In a state of innocence.