大人になった綾波レイ

綾波レイパイロットの任務を満了し、一般社会へと放流される。

 

最終使徒が倒され、日本はセカンドインパクト以前の状態へと徐々に回復していった。

ネルフ解体と共に元職員は各地に出向させられ、第三新東京に残る者はいなかった。

ゲンドウは死んだ。

アスカはドイツへ帰国し、博士課程を始めた。

碇シンジは高校卒業後工場で働いている。

綾波レイネルフ解体後間も無く行方不明となった。

 

第一話 

碇シンジは工場の近くのワンルームに住んでいた。築30年。ミサトが転勤になり、一人暮らしを始めてから6年間の年月が過ぎていた。最初の頃こそ休みを見つけては飛行機で来てくれていたが、今はもう長く連絡をよこさない。恋人でもできたのだろうか。

15歳のときから、このアパートから一番近い工業高校に通い、卒業と共に近所の工場に就職した。

ミサトは大学進学を勧めたが、シンジにはやりたいことは何もなかった。

彼は政府からの特別手当が毎月15万、一生支給されることが保証されていた。

贅沢はできないが、生活には困らない金額だ。

その他にも元エヴァパイロットの福利厚生は充実していた。

彼は最初の頃は何もせず、ただ漫然と日々を過ごしていたが、暇を持て余し工業高校に通うことにした。

ミサトは喜んでくれた。

ネルフが解体し、レイがいなくなってから彼は抜け殻のように暮らしていた。

 

 

「もう僕や綾波エヴァに乗らなくていいんだ。僕たちは自由なんだよ」

「そりゃあミサトさんネルフのみんなに会えなくなっちゃうのは悲しいけど、」

「でも、僕らはこれからどこへ行っても、何をしてもいいんだよ」

綾波は自分には何もないって言ってたけど、」

「これから新しい思い出や絆を、いっぱい作っていけると思うんだ」

 

碇シンジ綾波レイのアパートへ向かいながら、脳内でのシミュレーションを繰り返した。手が汗ばんでいた。シンジは、自分と同じく行くあてのないレイを訪問し、これから一緒に暮らさないかと持ちかけようとしていた。エヴァパイロットという肩書きを失ったシンジには、その喪失が耐え難かったが、その同じ気持ちを共有するレイと一緒なら、新しい人生を歩めそうな気がしたのだ。

心臓の鼓動が早まる。

ドアに手をかける。

綾波、入るよ」

いそいそと靴を脱ぎ、開いた部屋に足を踏み入れる。

綾波!碇だけど!」

興奮でうわずった声が、むなしく部屋に散った。

部屋はもぬけの空だった。

家具は残されていたものの、ベッドのシーツや毛布は取り除かれ、箪笥には何も入っていなかった。

いつも引かれていた厚いカーテンはなく、午後の陽の光が外を照らしていた。

綾波…?」

碇シンジは必死に何かの手がかりを部屋中探し回った。しかし何もなかった。

彼は慌てて部屋を飛び出し、管理人を捕まえた。

「あの、この部屋に住んでた綾波さんって…」

「ああ、引っ越されましたよ」

「えっ、どこへ」

「さあ、わからないです」

シンジの心は凍りついた。

両隣の部屋の人に聞いても、答えは同じだった。

電話で話したミサトも、驚きを隠せないでいた。

「あの子、ずっとあそこにいるんだと思ってたけど…」

「他に行くあてもないのにね」

 

メモも何も残さずに、綾波は忽然と消えた。

これで綾波もいなくなってしまった。

僕はもう、本当に一人だ。

シンジはその心に負った多くの傷をかばいながら、孤独に、漫然と月日を過ごし、ついに20歳の誕生日を迎えた。

シンジはその日曜日の朝、少し散歩に出ることにした。

まるで空から見守る誰かの祝福を期待するように。

小さいことでいい、

木漏れ日とか、散歩する犬とか、水たまりに映る鳥の群れとか、

何か、何か意味を見出せたら。

 

普段早歩きの彼は一歩一歩をゆっくりと踏みしめながら歩いた。

アパートを出て、公園の方へ向かう。

公園なんてずっと行っていなかった。

ここ最近ずっと晴れが続いている。

心のどうしようもない空っぽさを埋めるように、彼は大きく息を吸った。

ジョギングをしている人や、犬の散歩をする人。

コーギー犬が、まだ朝の冷たい地面を嬉しそうに歩いて行った。

コーギーはかわいいよなあ。

シンジは陽の眩しさに目を細めた。

そうしているうちに、公園についた。

大きな草原と、その奥に鴨がいる池。

週末は子供連れの家族がビニールシートをしいてピクニックをしたり、キャッチボールをしにくる。

それは孤独な彼には辛くもあったが、嬉しい光景でもあった。

池のさらに奥の、あの見晴らしのいい丘の上にベンチがあって。

シンジは、草原をつっきって、鴨がいる池をまわって、丘の上へ向かった。

すると誰かがベンチに座っているのがわかった。

少し落胆した彼の気配を察知するように、その後ろ姿が振り返る。

彼は目を疑った。

まさか、そんなわけがない。

彼の足はより近くへ歩み寄っていた。

風が青い髪の毛を吹き抜けた。

 

綾波…」

 

それは紛れもなく、綾波レイだった。