投影
自分はなぜ政経くんをブロックしてしまったのか。
なぜ東大卒が嫌いなのか。
東大の学生で普通のサラリーマン並みの給料をもらってるとかいう人がいたけど、なぜ私はそれに嫌悪を抱いたのか。
それは自分が十分じゃないと思ったから。
バカにされるだろうと思ったから。
それだけ「バカにされる」ことに警戒心があるということは、自分は「バカにされる」存在である、と誰よりも「自分が」思っている、ということになります。
常に、見下されることを心配しながら生きているとしたら、それは何とも、怖い、悲しい、寂しい世界ですね。気が休まるときがありません。そんな怖い世界の住人であればこそ、逆に、自分が安心できるような優しさに出会うと、その人はまるで「神さま」か「天使」のように感じてしまいます。
自分はバカにされる存在だと日々思って暮らしている。
バカにされるのが怖く、歩くときはなめられないようにしかめっ面して、威嚇しながら歩く。
自分のことがいやなのも、見かけがバカにされるんじゃないかと言う不安を抱えているからだ。
でも本当は私のことなんて誰も気にしてない。
私は誰にも重要だと思われてない。
それが一番悲しいことだ。
自分が重要じゃない、自分はどうでもいいと思われてる。
自分が人をバカにしてるからだ。
今日は人をバカにした回数を数えようと思う。
多分池田のことをかなりの回数バカにすると思う。
パートナーのことも。
完璧主義を直したいっていう方は、「完璧になりたいと思うのをやめよう」と思うのではなくて、
「自分がいかに、完璧ではない人を見下すことで優越感を感じ、自分の自信のなさから目を背けて逃げているのか」
ということと向き合ったほうがいいと思います。
完璧でなければ愛されないと思うのは、自分が完璧な人しか愛するつもりがないから。
短大卒や専門卒、大学中退は認めない。
鼻の形がダメな人は認めない。
流行りの音楽を聞くような浅薄な人は認めない。
顔にでっかい黒子があって、それを研究テーマにしてる院生なんて認めない。
イギリス訛りの日本人は、大抵発音の下手さを隠してるだけだ、認めない。
池田は文法がなってないから認めない。
20代後半で年収500万以下なんて認めない。
日本人じゃないから認めない。
英語の先生なんて認めない。
英語の先生になりたいと言う人を私は昨日見下した。