コンビニが私のお母さん

金曜日の夜。げっそりとした気持ちで帰路についた。雨、ほとんど降っていないような小雨。さっきは結構降っていたからせめて降っていない時間に帰れてよかった。インターンシップの説明会のブースで座って聴きながら夕飯には酢豚と卵焼きが食べたいと思っていた。まずセブンに寄って、卵焼きを買った。さすがセブン。お惣菜が充実している。しかし酢豚がない。あっても高い。そこでファミマに寄った。初めて手に取った。「お母さん食堂」と題されたシリーズの真空パック詰されたお惣菜。レンジでチンして、容器から直接食べれる構造になっている。洗い物もいらない。

私はコンビニから家まで歩きながら「お母さん食堂」という言葉について考えていた。自分の母親は私の人生の中でもはや街角のコンビニほどの存在感もないのだ。最近は母親のことを毎日思い出さなくなった。死にたいともあまり思わなくなった。生理が終わったばかりだからか。それとも将来があまりにも現実味を伴ったものだから。

家につくと、私は酢豚をレンジで温めている間に卵焼きを先に食べ始めた。すると切れ目があらかじめ入っていて、ものすごく食べやすい。さすがだなあ。なんて行き届いた生活。

お母さん食堂。深夜のトラックの運転手や、工事現場の男たちも母親を恋しがるのだろうか。田舎の母親の幻影を追い求めて、手を伸ばすのだろうか。

電子レンジが加熱完了のサインを出した。酢豚のパックを開けて中身を詮索する。肉が3片。あとは玉ねぎ、ピーマン、人参。人参を口にすると甘くて驚いた。私を毎日養い体を維持してくれるコンビニ。確かに、言われてみれば、私のお母さんのようなものかもしれない。少なくとも酢豚は私の母親が作っただろうものの何倍も美味しかった。