濱口だまし

当時リアルタイムで観たような気がする。

これを見ていて少し自分の人生が不安になってきた。

この番組での演出は、確かに荒唐無稽ではあったけど、

私の人生ももしかしたらドッキリなんじゃないかという疑惑が渦巻いていた。

だって私の人生だって荒唐無稽じゃないか。

特に母親の自殺とかさ。

絶対ドッキリだって。

母親が死ぬところを私は見てないし、

部屋には母親が首を吊るときに蹴ったと思われる椅子があっただけだった。

何通かの電話、祖母と警察の迫真の演技。

葬式では親戚とのトークに気を取られ、母親の遺体を見たのはほんの数分で、

触れるのが怖くて触れもしなかった。

顔は本当に死人って感じの顔だったけど、もしかしたらあれはただの精巧な人形だったんじゃないのか。

本当は母親はドッキリカメラの向こうで笑い転げてるんじゃないのか。

警察の人も。

いや、多分母親も警察も知らない間に仕掛け人をやっていたんだ。

私もおそらく誰かのドッキリの仕掛け人なんだ。

私たちを動かしてるのは、神?

神様が私たちにドッキリを仕掛けてるのかな?

多分私たちのリアクション見て笑い転げてるんだ。

私の人生の中で一番面白かったリアクションって何かな。

自殺未遂かな。

母親の葬式にあのテッカテカの白いシャツで胸ぱっつんぱっつんにさせながら行ったこと?

多分私の中で怖かったり気まずかったりする経験は全部笑い転げてるね。

銚子の海岸で怖いおじさんがいたこととか。

経営競争基盤のときにsyamu状態になったこととか。

大学受験で一番家から遠い大学選んで通るたびに早稲田に毎回コンプレックス感じてることとか。

結構頑張ったドイツ語のプレゼンがそれほど受けなかったこととか。

プレゼンがうまく行ったってESでは詐称してることとか。

多分ね、成功も新たな失敗へ繋ぐためのものなんだと思う。

今までの成功って言ったらあんまりないよね。

実際に英語とドイツ語はうまくなってるけど。

成績も向上してるけど。

不本意にダイエットに成功したことも、ただのお膳立てなんじゃないの。

でもそう考えると、いいリアクションをした方が事態が好転しやすいってことじゃないのかな。

ドイツでは首吊るための木を探し回って歩いたりしたし、

二度目の自殺未遂したことで父親に会わせてもらえたし。

でもこれって相当追い詰められたってことだよね。

自殺考えるぐらい追い詰められると、事態が好転する。

さすがに死なれちゃ困るのか。

逆に私を殺させるためにはどうしたらいいのか。

精神的・物理的リアクションを限りなく0に抑える。

心を乱さず、物理的にもリアクションを取らない。

ドッキリは一時的に加速するかもしれないけど、あとはほとんどなくなるね。

ひょっとしたら早く殺しにかかってくるかもしれないし。

これが悟りなんじゃないの。

どんな成功も失敗もドッキリのネタにしかならないと知れば、

人生というドッキリに執着を持たなくてよくなるんだ。

友達を持たないということは友達を通したドッキリがなくなるということ。

引きこもるということは他人を通したドッキリがなくなるということ。

心を落ち着かせるのも、いい行いをするのも、

結局はドッキリを免れるためじゃないか。

よくわかった。

ドッキリだってはっきりわかってんだぞ。

今度腹が立ったりした時は、そういう風に心でいうようにしよう。