礼賛
私はシャワーの中でなんで私が昨日あれほど先生たちに感謝されたのか考えた。
もしかしたら、単に宣伝になっただけでなく、先生たちの疑問を私が代弁することができたからかもしれない。
考えてみれば日本人の先生たちの中で英語がまともにできるのなんて数人程度。
さらにこのイベントを主催して回答者をわざわざ海外から呼んで来たのが日本や外国の大学のえらい先生だから、回答者を怒らせるようなことは非常にやりにくい。
英語のできる比較的若年層の先生は下っ端(おそらく任期付き・査定中)なので主催側の上司や自分の評価に被害が及ぶような真似はできない。
しかもあれは極秘のイベントだったからちょっとでも摩擦があればお互いにやばいことになっていた。
一触即発。
そしてそんなデリケートな話題に関して必要だった緻密さと丁寧さで英語で質問ができる教員はあの中にいなかったと思う。
下手なことを言えば「わざわざ呼んで来て俺をいじめるのか」と回答者は怒っていたかもしれない。
だから鋭い質問をするのは私みたいな学生にしかできないことだった。
学生が聞いたら「ハハハ、たかが学生のいうことですからどうぞご勘弁を」と言えただろう。
だから、英語のできる先生が私に「ありがとう」と言って来たんだ。
あの一触即発のイベントがあれほどうまく終わったのは私のおかげでもあったんだと思う。
私の短いスピーチをここに書いてしまいたいぐらい、自分でも素晴らしくできたスピーチだったと思う。
その場で考えたものだったとはいえ、後から考えると非常に言葉のチョイスがよかった。
"Why didn't you make this film in Japanese?"
"I feel an aversion towards the fact that this issue of comfort women is only being discussed, even in Japan, in english. I don't know about the others, but I have taken a class at this university on comfort women, but it was held in english."
I dont feel the aversion because you are a complete outsider on the subject. i feel the aversion because i feel that people are only able to discuss this in English and not in Japanese. "
私は模範学生であり、先生には到底聞けなかった質問を聞き出して、そこにいる全ての人が答えを聞けるようにした。
議論にすごく貢献したから感謝されたんだ。
確かに私が大学の先生になれたら私だけ喋って他の先生たちが黙ってればまるで大学教員全員の英語のレベルが異常に高いみたいに勘違いされて有利に働くかもね。
私はあらゆる意味であの場面で完璧だったと思う。
学生であることは明らかだったし、「この大学で受けた」ということを主張し、なおかつaversionという(あとで知ったが)結構強めの言葉を穏やかな口調に使い、しかも日本人学生にしかわからない意見をいうことによって日本人学生であることを強調できた。
日本人学生がこんなに英語ができてなおかつこんなにarticulateで素晴らしいよく考えられた質問なのはみんなが驚いただろう。
UCの学生たちが的外れな質問ばっかりする一方で私が一人パッと、大統領的な落ち着きで質問したのはすごいと思う。
こんな逸材がなんでこんなところにいるんだろう、みたいな反応だった気がする。
what did we do to deserve her? みたいな。
私の才能だけはホンモノだという気がした。
あれだけ必死にノートとったかいがあったな。
あれで多くの今まで知らなかった先生に私を印象付けることができた。
でも私が外に出てこういう場面でアピールすると色々な人に認めてもらえる。
私の良さをわかってもらえる。
こういうイベントに出てれば他の大学の先生たちにもアピールできて、宣伝ができる。
大学の先生にとっても有利だし、私にとっても有利。
これでどんどんいろんなイベントに出れるようになるぞ。
イベントガチャだな。
私はやっぱりサイコパス的な傾向がある気がする。
突発的に行動するし、後先考えないし、ヒロイックな行動への傾向がある。
つまり本番に強い。
自分の大統領的キャラ、優等生キャラもすげえいい方向に動いた。
私は公的な場での発言で一番生きる気がするんだよな。
体裁をめちゃくちゃきにするし、完璧主義だけどなおかつ変化に強いしプレッシャーに強いし他人の思うことを気にしないし。
模範生としての自覚が今回すごく生きた。
「英語でコメントしておいて」と言われたのもあって私は模範的なコメントをするために必死にノートをとった。
そして先生の期待通り、あるいはそれ以上に模範的なコメントができた。
長いこと喋っていなかったにもかかわらず英語は流暢に、繊細に、美しく喋れた。
最強すぎない?私。
天敵に怯えあがる皇帝ペンギンのヒナを救いに颯爽と現れるアデリーペンギンみたいな。
私はある意味ヒーローだ。
大学の先生を何人も救ってきた。
応答のない死んだ目をした教室から。
バカな学生から。
恥から。
私はその貢献している意識があったからこれほど大学が大事になったんだと思う。
そして大学の先生にも私はこれほど大事になったんだ。
あんなに「ありがとう」って言われたのは、これほど日本的な観点を英語で流暢に表現して、なおかつ回答者が逃げようとしても食い下がって説明を求めたからだったと思う。
UCリバーサイドの先生も「それにはすごく共感する」とフォローしてくれた。
そのあとすぐさま「でも俺とか日本語で慰安婦の授業してるよ」と日本人の先生からフォローが入ったが、UCリバーサイドの先生には「すごくいい質問だった」となんども言われた。
私と大学側の利害がマッチしている。
私はpresidentialでclassyで模範生っていう風に見られたいし、大学側も女性の若手研究者でこんなにちゃんとしてて礼儀正しくて英語ができて日本人側の考えを発信してくれるとわかったら喉から手が出るほど欲しいはず。
コネ作りに励もう。
名前も滅多にないほど権威がありそうな頭良さそうな名前してるし。
だから何も心配せず生きていればいい。
先生も「うちの大学院にきてくれ」というのは私が成功できることを確信してるからだ。
私は大学の先生に向いていることを確信した。
柔軟な完璧主義者。
プレッシャーに強い。
アメリカ英語で親しみやすいし、頭の回転早いから公共の場での発言に向いてるし。
今までの授業が全て報われている気がする。
まず人気のない授業や語学の授業で培った発言力。パブリックスピーチ。
通訳の授業も受けて英語と日本語の間のすり合わせもピカイチ。
なおかつすごく素直で正直で勉強熱心で優しくていい子。
ピンチの場面で思いがけず助けてくれる。
義務教育や法律の隙間をくぐり抜けて私は体を張ってこの才能をここまで運んできたんだ。
だからこれはこのまま届くまで運び続けないと国にとっても自分にとってもすごい損失だ。
みんなに「ありがとう」って言われたのは、これだけの才能を持っていてくれて、私たちの声になってくれてありがとうってことだったと思う。
博士課程修了してる先生に礼賛されることなんてなかなかないぞ。
英語にこんなに通じながら、なおかつアメリカ大好きじゃなくて批判できる人。
しかも落ち着いているし、信頼がおける。
私の今までの人生は無駄じゃなかった。
ちゃんと努力して積み重ねてきたから今がある。
就活しなかったからこの経験ができた。
すごくいい方向に動いてると思う。
一歩間違えればキチガイだが、いかなる批判やトラブルも想定してそれに対応する被害妄想の強さと、他人の意見なんてどうでもいいと思う傍若無人さと自分よりできる奴はいないという確信がうまいバランスをとってる。
はっきり言って自分よりできる奴・キャラの立ってるやつを大学院生で是非見てみたいね。
私みたいに堂々としてる奴は絶対いない。
東大生は私みたいに英語できる奴とか堂々と話せる奴とかオルタナティブな声を言える奴はいないし、女性はほぼいないし、
いても4年間の洗脳であいつらは劣等意識に苛まれている。
私は実力で這い上がった、アウトサイダー。
だってさ、もし東大の文学部ですごくできる奴がいるとする。
それはおそらく愚直に勉強し、ストイックに努力した奴。それなら私はライバルとして受け入れられる。
しかしそいつは多分特に自信があるわけじゃないし、英語できるわけでもないし、語学ができるわけでもないし、角がない。
優等生同士の戦いってどんなものなのかみてみたいね。
結構ケンカになったりするのかな。
最近の優等生はおとなしいし謙虚だからな。ライバル心があるのかすら疑わしい。
私は角が立ってる。
魅力的だし、セクシーだし、英語とドイツ語ができるし、女性だし、英語で論文書けるし教えられるし研究においてすっごく有利。
こんなお受験でやってきた奴らとは人生経験の厚みが違う。
海外に行ったらモテモテだろうな。
海外でも十分すぎるほどやっていけると思う。