せめて、人間らしく

私が最近思うのは、大学の新卒って難民とたいして変わらないなということです。

スキルも経験もないし、ただ座ってれば金をもらえると思ってる甘ったれてる奴ら。

私が企業側だったら新卒なんて絶対取りたくないですね。

見てるだけでイライラしますもん。

だから高学歴をとるんじゃないでしょうか。

 

 

なんか、私の通っている大学の人たちはすごく自信を失っている気がします。
開成という高校から入って来た人は学科に二人いたのですが、二人ともやめて他の大学に行ってしまいました。
うちの大学のネームバリューが低くて耐えられなかったらしいです。
大学に残っている人たちにも、どこか自信のない雰囲気が漂っています。
うちの大学は優秀な人が多くいますが、自分を過小評価するきらいがあると思います。
何故なんでしょうか。
世間の言ういい大学の条件は、合格するのに努力が必要であることです。
これは偏差値ランキングを見れば、どれが入試が難しい大学なのか客観的にわかります。
私のいる大学も入学試験は難しいと思います。
そして就職実績を見れば、ほとんど知ってる大企業ばかりです。
じゃあみんな何が不満なんでしょうか。

やっぱりつまるところは、早慶旧帝大じゃないからということではないでしょうか。
予備校が掲げるのは決まって早慶上理旧帝大の合格実績です。
みんなが知っているから、いい大学なのか。
みんなが知らないから、行く価値のない大学なのか。
私の大学の人たちは、世間の評価に頼っているために、評価されないと心配になるみたいです。
私もそういうところはありますが、正直言ってダサいし、そういう人は見てるだけでイライラします。
大学で一番仲よかった友達と絶交したのも、一緒にいてイライラするからっていう理由でした。
でもこのイライラって無意識な私の不安だったりするんじゃないでしょうか。
無意識な不安をシャットアウトしたいがために、
その不安を取り除いてくれない人を人生から排除したがる。
だから私は親友と話すのをやめ、父親にも「もう話したくない」と言ったんじゃないでしょうか。
こう書いたものを見るとまるで自分が二重人格者のように感じます。
「全くだせえよ」と考えている自分と、不安でたまらなくて、他人を拒絶する自分。

自分を安売りするなと。
ミーハーな世間の価値観に迎合するような真似はするなと。
自分で選んだ道だろう、それが間違ってると言われて怯むんじゃないと。

そういう言葉を父親に言われ、私は束の間の安心を得ることができました。
でもこれは最終的な解決ではなくて、私は未だに不安なんです。
不安を隠すためにイライラして、他人を拒絶しているんです。
つまるところ私には逃げることしかできないんです。
解決がどうしてもできないんです。
プライドの問題なんでしょうか。
自分は頭がいいからもっといいところに行けたはずだと。
そう思ってるのかもしれないです。
私は本当は東大に入って、楽しく友達を作って、なんのルサンチマンもなしに外資系銀行に入りたかったんでしょうか。
そうかもしれないです。
でももう遅いんです。
多分うちの大学の生徒はなまじ頭が良いから、そういう高望みをしてしまい、それが叶わなくて落ち込んでしまうんだと思います。
「負け組だ」と自らレッテルを貼ってしまうのです。
私がブログを書く理由は、書き出すことによってなんらかの答えを自分で思いつくためなんです。
でもこればっかりは、自分ではなんの解決もできないのです。
あえて理論上の解決策を考えて見るとしたら、それは以下の通りです。
1. 日本を離れ、自分の実力だけで勝負する
2. 就職してスキルを身につけ、実力で勝負する